と言う奴ァ、似てくるもんなのかね。適わねえな…。俺ァ、その目をした奴に弱いんだ」
土方は湯呑みを手に取り、一口啜ると畳の上に置く。そして覚悟を決めたように、さとの目を見返した。
「山南は、脱走したよ。ご丁寧に居場所まで書き置きしてな。今、沖田を向かわせているところだ」
それを聞いた途端に遂にこの日が来たのかと、絶望が波のように襲ってくる。だが、さとは平静を装った。遊女という元職業柄、自分の事も人の事も騙すのはお手の物である。
男の言葉は信じない。動態 紋 信じたら泣きを見るのは自分だ。
そう自分に言い聞かせる。
「そう、どすか。教えて下はって、おおきに」
「…驚かねェのか?お前さんは知らねえと思うが、脱走は──」
「切腹、どっしゃろ。存じ上げとります」
さとは、土方の言葉に被せるように静かに言った。土方は信じられないといった表情でさとを見る。
「…随分と落ち着いてやがる。大した女だよ、お前さんは。山南の選んだ女なだけあるぜ」
土方は茶を飲み干すと、刀を持って立ち上がった。そして玄関へ向かって歩き出す。
「土方はん」
その背を見ることなく、さとは呼び掛けた。
「何だ」
「あの人が…敬助様が、屯所へ戻らはったら。呼んどくれやす。まだ、言い足りないことがありますのや」
さとの声は僅かに震えている。その表情がどの様な物なのかは、見ずとも分かった。
「…分かった。必ず遣いをよこそう」
「おおきに。…土方はんもお辛いやろ。敬助様も言うてはりましたえ、"土方君は優しすぎるから"と。お一人で抱え込まんようにしとくれやすなぁ」
その言葉に、草鞋を結ぶ手が一瞬止まる。土方は苦悩に端正な顔を歪ませると、立ち上がった。
「心に、止めておく。茶、美味かったぜ」
土方が去った後、さとは山南が使っていた敷きっぱなしの布団の上に崩れる。温もりは既に失われているが、匂いが残っていた。
「敬助様、敬助様ァ…ッ」
そして肩を揺らす。溢れた涙は次々と布団を濡らしていった。
永い別れになる、と言われたその日からずっと覚悟していたつもりだった。
だが、いざ来てしまうと耐え難いものがある。
「もう会えへんくてもええから…。生きとくれやす…。仏様、どうかあの人を…あの人を。助けとくれやす…ッ!」
さとは祈るように布団へ臥した。
だが、時も立たぬうちに再会することになる──沖田は馬に乗りながら、色々なことを考えていた。
──何故、山南さんは脱走などしたのだろう。
確かに山南は江戸に帰りたがっていた。
剣客として生きられないことに絶望した。
土方との不仲説が隊士の間で広がっていた。
伊東が来たことによって肩身が狭くなった。
総長という実権のない役職に縛り付けられていた。
葛山の切腹に対して土方と意見をぶつからせていた。
屯所移転について不満を募らせていた。
山南の脱走を裏付ける憶測など、考えれば山のように立つ。
だが、どれも沖田にとってはしっくり来なかった。隊に戻りたく無いのであれば、あのまま療養を続けていれば良かったのだ。だが、それを良しとしない理由があったに違いない。
わざわざ脱走という手酷い裏切りを選ばざるを得ない理由が。
「山南さん…ッ」
やがて沖田が大津宿へ着いた頃には、西の空へ陽が傾きかけていた。
東海道一と呼ばれるこのだだっ広い宿場から、山南の居場所を探さなければならない。
そもそも本当に居る保証すらなかった。
それでも沖田は今日中に連れて帰るという任を背負い、片っ端から宿を当たって回った。
『…何の為にわざわざ山南が行き先まで書いたと思ってやがるんだ。本当に逃げたい奴がそんなモン書くものかよ。…あいつは、待ってんだ』
その脳裏には土方の言葉が浮かんでいる。
山南が、大好きな兄が待っているのであれば、それに応えなければならない。その一心で沖田は探した。
陽がすっかり暮れる頃。途方に暮れた沖田は小橋の欄干に身を寄せ、目の前の陽を隠した山を見詰める。
あれ程賑わいを見せていた大通りからは、すっかり人も居なくなった。
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