「貴方、武士だよね!ここは屯所でしょ?武士が勤め先でこういうことしていいの?」

 

 「・・おまえ、」

 何かしら訴えるものがあったのか、山野の冬乃を押さえる力が緩んだ。

 その瞬間を逃さず、冬乃は山野の腕を振り切って、

 半身を起こしながら簪を勢いよく引き抜いて前に構えた。

 

 「・・・」

 

 それが剣を構えるのと同じ所作であることに、突き出された冬乃の簪を目に。

 唖然とした様子で山野が、両腕を畳についた体勢で、瞠目し。

 

 「おい山野、幼稚園英文教材 何やってんだよ」

 

 そして。

 次に不意に降ってきた声に、

 山野も冬乃も驚いて、少し開かれたままだった襖の向こうに視線を走らせた。

 

 

 (誰・・?)

 

 現れたのは手燭を手に、呆れた表情を満面に張り付けた男で。

 

 「なんだ中村か」

 冬乃の前で、山野が呟いた。

 

 (中村・・)

 先ほど山野が言っていた手負いの友だろう。

 

 そういえば、この時期に捕り物で怪我をした中村といえば、

 (中村金吾)

 山野と一緒に、この頃、火縄銃持ちの強盗を成敗して朝廷から褒美まで受けている人で。怪我はその時受けたものだ。

 

 

 まじまじと見れば、山野と違って格段美男というわけではないものの、ひとめで実直さ溢れる好青年のさまが感じられて、

     冬乃は、ほっとして、構えていた簪をおろした。

 もう大丈夫だろう。

 

 

 「サラシを取りに行ったままいつまでも戻らんから、どうしたのかと探してみれば・・」

 

 まだ呆れたままの表情で、中村が嘆息した。

 「おまえ、その女癖の悪さをいいかげん改めろ。身を滅ぼすぞ」

 

 山野が観念した顔で、戸のほうへと起き上がって。

 「この女は別さ、」

 

 その背が呟いた。

 

 「どうやら俺、本気で惚れたかも」

 

 

 (え)

 聞き捨てならない台詞を置いた山野が、まだ座り込んだままの冬乃を振り返った。

 

 「覚悟しとけよ。おまえのこと絶対ものにしてやる」

 

 「・・・・」

 

 もはや返す言葉も出ない冬乃を残し、山野は戸口に立つ中村へとサラシを押しやりながら出て行き。

 中村が続いて申し訳なさそうに冬乃に会釈をすると山野を追って小庭を突っ切ってゆくのを、

 冬乃は暫く呆然と見つめた。

   

 

 まもなく小庭から、夜虫の合唱が本格的に聞こえ出した頃、

 冬乃はようやく立ち上がって。

 

 そして。だんだん怒りが湧いてきた。

 

 

 (なんなんだあの男は?)

 

 人のコト襲っておいて、謝りもせず。逆に宣戦布告してきた。

 (何様??)

 

 小物を片付け終えて、行灯の火を吹き消す頃には。

 怒りも沸点に達していた。

 

 「絶対、モノになんかにされないから!!バカ!!」

 

 煙の匂いを背に、誰もいない建物の中で。勢い余って冬乃は叫ぶ。

 

 

 (・・・いますぐ)

 

 なぜか無性に、

 

 

 (沖田様に逢いたい。)

 

 

 

 それは冬乃の意識を蹂躙する好きでもない男の存在から、逃れ、どころか掻き消してしまうための渇望なのか、わからない。

 

 ただ、只。いま逢いたくてたまらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は、八木家の離れの数歩手前で、立ち止まった。

 

 (来ちゃった・・ほんとに)

 

 

 我ながらすごい衝動的だ。

 冬乃は自嘲する。

 

 (やっぱこんな、突然来るとかだめだよね)

 理性に働きかけてみるものの。

 

 (でも、・・逢いたいよ)

 ほんの少し前、急激に込みあげたその想いは、今なお溢れるばかりでとめどなく。 (・・・いい、顔見れたらすぐ帰れば)

 

 あっさり理性の敗北を許して、冬乃は、

 こころのままに残りの数歩を縮めた。

 

 

 この離れの出入口は縁側であるために、庭先から覗くような状態になりながら、

 いざこうして決意してみると今更、どんな口実を掲げたらいいか考えておかなかったことをちょっと後悔した。

 

 (洗濯物うけとりに参りました、とか変だし)

 夜である。洗濯はおかしい。

 

 (皆様お夜食いかがですか?よかったらお作りします)

 

 んー

 これでいいや。

 

 

 投げやりになりながら冬乃は、縁側へ上がると膝をついた。

 

 予想はしていたが。

 冬乃が声をかけるよりも早く、すらりと内側から障子は開かれた。

 

 「誰かと思えば、冬乃さんか」

 「あ」

 永倉だった。

 

 「どうされた」

 「はい、夜分にごめんなさい。その、」

 言いながら、部屋の中へさりげなく視線を走らせれば、そこには誰もおらず。

 

 (んん?)

 「あの、皆様は・・」

 

 「さあ、風呂行っていたり、仕事に出ていたりだろな・・そろそろ、ぼちぼち戻ってくるとは思うよ。誰かに用?」

 

 「ええ、いえ、皆様にお夜食でもご用意しようかと・・」